子どもに「お母さん可哀想」と言われた夜のこと

(子どもからの言葉に傷ついた経験を共有します)
あの言葉を聞いた夜のことは、今でもはっきり覚えています。
夕飯の片付けをしながら、テレビのドラマに夢中になっていた子どもが、ふとつぶやいたんです。
「ねぇママって…可哀想だよね?」って。
その瞬間、私の手は止まり、胸の奥がぎゅっと締めつけられました。
子どもは悪気なんてないのに、どうしてこんなに心に刺さるんだろうって。
子どもの言葉に傷つくのは私だけじゃない

シングルマザーとして生きていると、周りから「ひとりで大変だね」「お父さんがいなくてかわいそう」と言われることは何度もありました。
でも一番胸に響いたのは、やっぱり自分の子どもからの言葉でした。
子どもはただ感じたことを言っただけ。
悪気がないのはわかっているのに、どうしてもその言葉が胸に刺さってしまうのは、私自身がずっと心のどこかで「自分は可哀想な母親なんだ」と思っていたからかもしれません。
心の中で繰り返していた「可哀想」という言葉

子どもに言われた一言は、まるで私の心の奥底にある自己否定を見透かされたようでした。
誰かに言われるのとは違って、子どもからの言葉はまっすぐで、逃げ場がありません。
だからこそ、胸が痛くて、涙がこぼれそうになりました。
怒ってはいけないのに、心の中で「なんでそんなこと言うの?」と叫んでしまったんです。
子どもの「可哀想」の裏にある二つの気持ち

子どもなりの優しさ
実は、子どもの言葉には優しさが隠れていました。
子どもなりに「ママは大変だよね」と感じていて、その気持ちが「可哀想」という言葉になったのだと思います。
子どもはただ、ママのことを心配しているだけなんですよね。
私が抱えていた自己否定
もう一つは、私自身が抱えていた自己否定の気持ちです。
シングルマザーとして頑張っているつもりでも、どこかで「私は可哀想な存在なんだ」と思い込んでしまっていた。
だからこそ、子どもの言葉が心に深く刺さったのだと思います。
その夜、私が返した言葉とその後の気持ち

涙がこぼれそうになりながらも、私は声を整えてこう言いました。
「ママはね、大変なこともあるけど、あなたと一緒にいられるから可哀想じゃないよ。」
子どもは「ふーん、じゃあよかった」と言って、またテレビに戻りました。
子どもにとっては、ただの何気ない一言だったんです。
でも私にとっては、心の中に大きな波紋が広がる出来事でした。
ひとりで泣いた夜のこと

子どもが寝静まった後、キッチンの湯気の中で静かに泣きました。
傷ついたというよりは、ずっと張り詰めていた気持ちが一気にほどけた感じでした。
シングルマザーという肩書に、知らず知らずのうちに「可哀想」というレッテルを自分で貼っていたんだなと気づいたんです。
翌朝から変えた「可哀想」の意味

翌朝、朝日が差し込む部屋で私は考えました。
「可哀想って、誰が決めるんだろう?」
世間の目やSNSのキラキラした家族の姿じゃなくて、自分で決めていいんだと。
そこから私は、自分の中で“可哀想”の意味を変えてみることにしました。
新しい「可哀想」の定義を心に刻む

大変でも頑張っていること。
ひとりで強い子どもを育てていること。
崩れそうになっても立ち直ること。
泣いてもまた前に進むこと。
そうやって自分に言い聞かせるうちに、子どもの「可哀想」が「あなたはよく頑張ってるよ」に変わっていきました。
数ヶ月後、子どもがくれた新しい言葉

あれからしばらくして、子どもが突然言いました。
「ママはひとりでいろんなことができて、すごいと思うよ。」
あの時の「可哀想」は、ただの通過点だったんだと感じました。
子どもはちゃんと見ている。
私たちが倒れそうになりながらも、毎日立ち続けている姿を。
最後に伝えたいこと

あの「可哀想」という言葉に傷つくのは、あなたが弱いからじゃありません。
ずっと頑張ってきた証拠であり、自分を可哀想だと思いたくなかった証拠でもあります。
でも本当は違う。
ひとりで戦い、守り、愛し、立ち続けているあなたは、誰よりも誇らしい存在です。
どうか、自分のことを少しだけ優しく見てあげてください。


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