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体調悪くても熱出しても「有給ゼロ」だから出勤…親としての責任と身体の限界の狭間で

11月。朝、目が覚めた時「あ、体がおかしい」と気づいた。喉が痛い。頭が重い。体温を測ると37.8℃。

その瞬間「あ、有給がない」という現実が頭をよぎる。子どもがインフルで看病に5日。その後、自分の体調不良で無給欠勤が3日。その結果「月の有給が全部消えた」。

つまり「今月は有給なし」。体調が悪くても「出勤するしかない」という現実。その現実の中で「仕事に行く」という選択肢しかない。今日は、その地獄的な現実を話します。

目次

「有給ゼロ」という状況が生まれた理由

子どもがインフルで看病に5日使った

11月中旬。子どもが急に熱を出す。検査するとインフル陽性。その日から「看病モード」に入り、仕事を5日間休んだ。

その5日間の有給を使った。「子どもの世話」が「親の最優先」。その判断は「間違ってない」のだけど「有給を消費する」という代償がある。

その後、親自身が発症

子どもの看病をしてる最中に「親もウイルスをもらう」。高熱が出て「出勤できない状態」に。

その日から「有給でカバーしようか」と考えるけど「もう有給がない」。そのため「無給欠勤」を選択。給料が減る。

結果として「11月は有給がゼロ」に

5日の有給+3日の無給欠勤。結果として「月の有給が全部消える」。残りの月は「有給なしで出勤」するしかない。

その「残りの月」が「2週間以上」ある。その期間に「体調を崩す」という可能性が「ゼロ」ではない。でも「有給がない」。

体調が悪い中での出勤の苦行

朝、38℃の熱で子どもを起こす

体温は38℃。でも「出勤しなきゃいけない」。その判断の中で「子どもを起こす」。

子どもに「おはよう」と言う。朝ご飯を作る。子どもを着替えさせる。その全てを「38℃の体」でこなす。

その「高熱の中での親の対応」が「どれほど辛いか」は「経験した人にしか分からない」。

満員電車に乗って、職場に向かう

45分の電車移動。その中で「立ちながら揺られてる」。体はフラフラ。でも「仕事に向かわなきゃいけない」。

その「電車の中」で「体調が悪化」することもある。周囲に「具合悪そう」に見えてるのに「出勤せざるを得ない状況」。

職場での「迷惑」と「自責」の両立

職場に着いて「おはようございます」と挨拶する。その時「体調が悪い」という情報は「言わない」。

なぜなら「体調が悪いのに来ることで『迷惑』をかけてる」という認識があるから。その「迷惑をかけてる状態」で「さらに『体調が悪い』と言う」のは「申し訳ない」と感じてしまう。

仕事のクオリティが落ちるのを自覚しながら働く

高熱の中で「仕事のクオリティを保つ」ことは「ほぼ不可能」。ミスも増える。集中力も落ちる。

その「クオリティの低さ」を「自分で自覚」しながら仕事をしてる。その「自覚の苦しさ」。

なぜ「有給ゼロで出勤」するのか

「給料が減る」という選択肢は「ない」に近い

体調が悪くて欠勤する=給料が減る。月給20万円なら「1日休むと6,666円減」。

その「減少」が「家計に与えるダメージ」は「大きい」。月末は「赤字確定」になる。だから「出勤する」という選択肢を取る。

「会社に行かなきゃいけない」というプレッシャー

体調が悪くても「出勤するのが当たり前」という職場の雰囲気。その「雰囲気」が「有給ゼロの親」に「さらなるプレッシャー」を与える。

「また休むのか」という同僚の目。「大丈夫ですか」という心配の言葉。その「全てが重い」。

「子どもを誰かに預ける選択肢がない」

体調が悪くて欠勤しようとしても「子どもをどうする」という問題がある。保育園に「体調が悪い子を預ける」のは「申し訳ない」。

かといって「子どもを一人で家に置く」わけにはいかない。結果として「体調が悪くても、出勤する」という選択肢になる。

「有給ゼロで出勤」することのダメージ

体調が「さらに悪化」することもある

高熱の中で出勤して「さらに体調が悪化」することもある。その「悪化」が「本格的な病気」に繋がることもある。

でも「そこまでいっても、なお出勤」することを強いられてる自分がいる。その「自分を追い詰める行為」。

「親としての対応」が疎かになる

体調が悪い中で「子どもの対応」をしてる。その「対応」が「いつもより丁寧ではない」。子どもも「ママの体調が悪い」ことに気づく。

その「親の体調の悪さ」を「子どもが感じてしまう」。子どもは「ママが苦しんでるのに、何もできない」という無力感を感じるかもしれません。

「親の健康」が「蝕まれていく」

体調が悪くても出勤する。その「出勤」の積み重ねが「体を蝕む」。

月に3~4回「体調が悪いのに出勤」するとなると「年間で40回以上、体調が悪いのに出勤」することになる。その「積み重ね」が「親の体」を「確実に弱らせる」。

「有給ゼロで出勤」が続く理由

「子どもの病気」は「予測不可能」

インフルは「いつ来るのか分からない」。その「予測不可能性」が「有給を『子どもの看病用』に取り置く」という戦略を無意味にする。

有給を「子どものために温存」していても「突然のインフル」で「全部消費」される。その「消費」が「親の体調不良時に『有給がない』という状況」を生み出す。

「仕事の責任」が「親の健康」を後回しにする

職場での「責任」が「大きい」と「体調が悪くても出勤」することになる。その「責任」が「親の健康」より「重く」感じられてしまう。

「シングルマザーの立場」が「弱い」

配偶者がいれば「配偶者が子どもを見てくれる」という選択肢がある。でも「シングルマザー」には「その選択肢がない」。

その「選択肢のなさ」が「親が『体調が悪くても出勤』する」という状況を生み出す。

親ができる対策

「勤務先に『体調不良時の対応』を相談」する

有給がない時に「体調が悪い場合、どうするべきか」を勤務先に相談しておく。

「テレワークで対応」「短時間勤務」など、完全な欠勤ではない選択肢があるか確認する。その「事前の相談」があると「実際の時」に「判断」が早い。

「子どもの看病と自分の体調のバランス」を計画的に取る

「子どもが病気の時は『無給欠勤』も辞さない」という判断。その「判断」があると「自分の体調が悪い時は『出勤する』」という選択肢も「やや合理的」に見える。

全てを「有給でカバー」しようとするから「有給がゼロ」になる。その「すべてをカバーしようとする気持ち」を「手放す」ことも大事。

「就業規則」を確認する

体調が悪い時に「欠勤」した場合「給料がどうなるか」を確認する。

企業によっては「病休」という制度があって「給料の一部が保証される」こともあります。その「確認」をしておくだけで「選択肢」が見えてくる。

「一時保育」の活用も視野に

体調が悪い時に「子どもを一時保育に預けて、自分は病院に行く」という選択肢。その「選択肢」があれば「無給欠勤」を避けられることもあります。

月3,000~5,000円の一時保育費がかかるけど「給料が減る」より「少額」という場合もあります。

親としての心構え

「親の健康」も「子どもの存在」と同じくらい大事

「子どもが第一」という気持ちは大事。でも「親の健康」も「子どもが生きるために必須」。

親が倒れたら「子どもはどうなるのか」という「現実」を考えると「親の健康管理」も「親としての責任」の一部。

「体調が悪い時の出勤は『仕事のクオリティを落とす』」という認識

体調が悪いのに無理に出勤すると「仕事のクオリティが落ちる」。その「質の低下」は「会社にも迷惑」。

だからこそ「本当に体調が悪い時は『休む』という判断」も「会社のためになる」という認識を持つ。

「有給は『親のための時間』でもある」という認識

有給は「子どもの看病」だけに使うものではなく「親の健康管理」にも使う。その「使い方」を「親が許可」する。

その「許可」があれば「体調が悪い時に『休む』という判断」も「親の責任」の一部になる。

最後に

体調が悪くても熱が出ても「有給ゼロだから出勤」するシングルマザーは本当に多い。

その「出勤」の中には「親としての責任」「経済的な必要性」「職場への遠慮」が全て詰まってる。

でも「親が倒れたら」「子どもはどうなるのか」という「現実」を考えると「親の健康」も「親としての責任」の一部。

完璧に「有給ゼロで出勤」を避けることは不可能かもしれません。でも「テレワークの活用」「勤務先への相談」「自分の健康を許可する」。

その「小さな工夫」の積み重ねが「親の体」を守る力になるんだと思います。

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この記事を書いた人

シングルマザーナビ編集部です。
私たちは “何人かのシングルマザーで運営している小さな編集部” です。

それぞれ働き方も、子どもの年齢も、抱えてきた事情もバラバラ。
でも、夜中のキッチンでスマホを握りしめて検索したあの不安や、
通帳の残高を見てため息をついた日、
子どもに不意打ちで「なんでパパいないの?」と言われて固まった瞬間──
そういう“誰にも言えない体験”は共通していました。

ここでは、私たちが実際に味わってきた悩み・やらかし・小さな成功体験を、
専門家ぶらずにそのまま書いていきます。
「制度の情報」と「心が折れた瞬間」を、ちゃんと並べて置いておける場所にしたいと思っています。

ひとりで踏ん張っているあなたが、
少しでも呼吸しやすくなる記事を届けられたらうれしいです。

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