シングルマザーになって最初の3年間。本当に貧乏でした。子どもに必要なものすら、買えないことがありました。今は、その経験が笑い話になっています。今日は、買えなかったものたちを振り返ります。
生活必需品なのに買えなかったもの
子どもの靴
子どもの足はすぐに大きくなる。新しい靴を買う余裕がない。だから、古着アプリで中古の靴を探す。それでも、ぴったりのサイズが見つからない時もある。
そんな時は「もう少し歩かせて、サイズが合うまで待つ」という謎の作戦。当時は必死でしたが、今思うと、その工夫が笑えます。今は靴だって、新しいのが買える。その喜びは、あの時代があったから分かるんです。
子どもの下着
毎日洗濯するから「なくても大丈夫」と思ってた。でも、それは大人の論理。子どもは下着が必要です。仕方なく、洗濯の頻度を上げる。毎日、下着を手洗いしてました。
今は、下着だって何枚でも買える。その時の「手洗い地獄」を思うと、笑っちゃいます。
トイレットペーパー、ティッシュ
これは、本当に困りました。「なくなったら、どうしよう」という不安がありました。だから、ドラッグストアの安い時期に、大量に買う。家のスペースがティッシュで埋まる。
今は、ドラッグストアに行って「あ、ティッシュがあった」って程度。その「普通」が、当時は奇跡に見えました。
子どものためなのに買えなかったもの
学用品
鉛筆、ノート、定規。これらが、月末には「買えない」という状況がありました。学校からは「揃えてください」という連絡が来るのに、買えない。
その時の親としての無力感。でも、子どもは「ママ、頑張ってるんだな」と理解してくれた。その理解が、今では笑い話になってる。「あの時、鉛筆も買えなかったね」って、子どもと話す。
習い事の月謝
友達が「ピアノやってる」「スポーツ習ってる」という話を聞く。子どもは「僕もやりたい」と言う。でも、月5,000円が出せない。その申し訳なさ。
今は「月謝が出せるようになった」ということが、これほど嬉しいと思わなかった。貧乏時代があるから、その喜びが分かる。
子どもの服
新しい服を買うのは、本当に稀でした。古着が基本。新しい服を買ったのは「入学式」「卒業式」など、特別な時だけ。
今は「子どもが欲しい服」を買ってあげられる。その時の子どもの顔。その笑顔を見ると、あの貧乏時代も悪くないなって思っちゃう。
親のケアで買えなかったもの
髪を切る
自分の髪を、ずっと切ってない時期がありました。セルフカット。そして、失敗。その失敗を人前で隠しながら過ごす。
今は「美容院に行きたいから行く」という選択肢があります。その自由さが、かけがえのない。
コンタクトレンズ
眼鏡が必要だけど、古い眼鏡でなんとか過ごしてた。コンタクトなんて、もっての外。眼鏡で仕事してた。
今は「見え方が合わなくなったから、眼鏡を作る」ということができます。その当たり前が、当時はぜいたく品でした。
医療費
親が風邪になったけど、病院に行けない。自分で治すしかない。その自力で治す期間が、本当に長かった。
子どもの医療費は、助成を使ったけど、親の医療費は完全に後回し。今は「親も病院に行ける」という環境があります。
生活の質で買えなかったもの
子どもとの外食
たまには「外でご飯食べたい」。でも、ファミレスの食事代が、数日分の食費になってしまう。だから、外食は「家族で遊びに行った日」くらい。
その時の特別感。今は「たまには外食」が当たり前。でも、あの時代の「たまに」の方が、子どもにとって特別だったのかもしれません。
子どもの誕生日プレゼント
毎年「今年は何をあげよう」と悩む。高いプレゼントは買えないから「手作り」で代用する時期も。
今は「子どもが欲しい物」を買ってあげられます。その時の子どもの顔は、手作りプレゼント以上に嬉しいものです。
子どもの写真撮影
七五三の写真撮影。レンタル衣装だけで精一杯。写真館での撮影は、予算オーバー。だから、公園で自撮り。
その自撮り写真が、今ではいい思い出。プロの写真も素敵だけど「あの時は、公園で自撮りだったね」という話も、素敵。
あの貧乏時代があったから
今の「買える」がありがたい
今は、子どもが欲しいものを、ある程度は買ってあげられる。その時の子どもの喜びは、あの貧乏時代があるから分かるんです。
完璧に裕福になったわけじゃない。でも「買えない」という状況から「買える」という状況に変わった。その変化が、本当にありがたい。
子どもの強さが育った
買えないから「工夫する」「我慢する」。その経験が、子どもに何かを教えた。それが「強さ」なのか「やさしさ」なのか「感謝の気持ち」なのか。
いずれにせよ、貧乏時代の経験が、子どもの心に何かを刻んだ。それが、今の子どもの財産になってる気がします。
親自身が強くなった
買えないという制限の中で「何ができるか」を考えた。その思考が「工夫の力」を付けた。今の仕事の工夫も、あの時代の延長線上にあります。
貧乏時代は「つらかった」。でも「無駄」ではなかった。そう思えるようになった今、あの時代も「良い時代」に変わってます。
笑い話にできるようになった理由
あの時代は「絶望的」に感じました。でも、乗り越えた。そして「乗り越えた後」だから「笑える」。
子どもも親も成長した。その成長の証が「笑い話」に変わったんだと思います。
今、貧乏なシングルマザーの人たちに言いたい。この時代は「永遠」ではありません。絶対に終わります。そして、終わった時「あの時も、良い時代だったな」って思える。
その時のために「今」を生きる。その強さが、シングルマザーにはあるんです。再試行
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