子どもが小さい時は「パパはどこ?」という質問が何度も繰り返されました。その度に、心が痛みました。でも、今、その質問は完全に消えました。そして、子どもが「ママだけの家族」を理解し始めた瞬間、感動で涙が止まりません。
「パパは?」から「ママ、頑張ってるね」へ
最初の質問が来た日
子どもが3歳の時です。保育園から帰ってきて「ねえ、パパはどこにいるの?」と聞かれました。その瞬間、息を止めました。正直に答えるべき、でも傷つけたくない。その両立を求められた。
「ママたちは、ふたりで生活してるんだよ。ママが一生懸命頑張るから」そう答えた時、子どもは「わかった」と言ってくれた。その返事の簡潔さに、逆に泣きそうになりました。
何度も同じ質問が繰り返された時期
4歳、5歳と、その質問は何度も繰り返されました。保育園の友達が「うちのパパはね」と話すのを聞くたびに、子どもは「ママ、パパはいないの?」と聞き返してくる。
その度に、説明する。何度説明しても、子どもの中では「パパがいるのが普通」という認識があるんだと感じました。だから、何度も同じ質問をする。その繰り返しは、本当に大変でした。
子どもが気づき始めたこと
「ママばっかり頑張ってる」に気づいた日
小学2年生の時です。子どもが、突然「ママ、毎日仕事も家事も育児も、全部やってるんだ」と言ったんです。
その瞬間、子どもが「ママだけの家族」を理解し始めたんだと感じました。それは、同時に「ママの大変さ」を理解し始めたということです。
その夜、子どもは「ママ、いつ休むの?」と聞いてくれました。その質問の中に、親を心配する気持ちがあって、親として申し訳ない気持ちと、誇らしい気持ちが同時に湧いてきました。
「パパがいないから、ママが両親分やるのか」と気づいた日
小学3年生。運動会で「父親参加の競技」があったとき、子どもは「あ、パパがいないから、ママが2人分やるんだ」と言ったんです。
それは、もう「パパがいないことが可哀想」という感覚じゃなく、「だからママが頑張ってるんだ」という理解に変わっていました。
子どもからの温かい言葉たち
「ママ、頑張ってるね」
仕事から疲れて帰ってきた時、子どもが「ママ、今日も頑張ったね。大変だった?」と聞いてくれるようになりました。
それまで、親が子どもを心配していたのに、今は子どもが親を心配してくれている。その逆転が、本当に温かかった。
学校の作文で「ママのすごさ」を書いてくれた
学校の作文の宿題で「尊敬する人」というテーマがありました。子どもは「ママ」を選んで「毎日、仕事も家事も育児も全部やってる。すごいと思う」と書いてくれたんです。
その作文を読んだとき、泣きました。子どもが、親の努力を見てくれていた。そして、それを「すごい」と感じてくれていた。
「ママだけでも大丈夫」と言ってくれた日
思春期に入ると「パパがいたら」という話も出るかと思っていました。でも、子どもは「ママだけでも全然大丈夫。むしろ、ママがいればいい」と言ってくれたんです。
その言葉で、長年抱えていた罪悪感が、少し消えた気がしました。
「正常な家族」の定義が変わった
子どもが友達に説明するようになった
友達が「パパは?」と聞いても、子どもは「ママだけ。でも、ママが頑張ってるから大丈夫」と答えるようになりました。
説明ではなく、確信。その確信の中には「ママだけの家族は、完全に成り立っている」という理解がありました。
「両親がいるのが当たり前」じゃなくなった
子どもの友達の中には、両親がいる子もいれば、シングルパパの子もいる。そういった多様性の中で、「家族の形は色々ある」と自然に理解するようになりました。
その多様性の受け入れが、子どもの心を広げたんだと思います。
親として感じたこと
親の勝手な罪悪感だったのかもしれない
子どもが「ママだけでいい」と言ってくれたとき、初めて気づきました。「親として申し訳ない」という気持ちは、親の勝手な感情だったのかもしれない。
子どもは、最初から「ママだけの家族」を受け入れていたのかもしれません。それを、親が「申し訳ない」という感情で曇らせていたのかもしれない。
子どもの成長の過程で、家族の絆が深まった
パパの存在について何度も説明する中で、子どもと親は、何度も対話した。その対話の過程が、実は家族の絆を深めていたんだと思います。
両親がいて当たり前の家庭では、その対話がないかもしれません。
今、感じていること
「パパは?」という質問が、完全に消えました。代わりに「ママ、大丈夫?」という親を気遣う質問が増えました。
それは、子どもが親の状況を理解したからこそ。その理解の過程は、本当に大変でした。でも、その先にある子どもの成長は、何にも代え難い。
シングルマザー家庭は「欠けている」わけじゃなく「違う形」なんだと、子どもが教えてくれました。そして、その違う形の中で、親子の絆は十分に成り立つ。
子どもの一言一言が、親としての罪悪感を消してくれた。そして、親として、もっと強くなれた気がします。
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